アブデルハリムハーフェズについて2回にわけてご紹介します。
どうして、こうしてアラブ歌謡を紹介していこうかと思ったのは日本でレッスンするようになって、生徒さんがアラブ歌謡を知らないので(初心者だけでなく経験者も)、やっぱり日本だと触れる機会が無いのだろうなあと思いました。というのはフランスで教えていた時は大多数がアラブ系の生徒さんだからっていうのもありますが、普通にアラブ歌謡は昔のから現代のまで知っているし、例えば若くてもアブデルハリムの大ファンだから全曲歌えるとか言う娘もいたりするし、ものすごく身近でアラブ歌謡の説明とかダンスやダンサーの話(samia gamal、tahia cariokaから年代ごとのダンサーの踊りのスタイルとか)はすぐ伝わる感じだったのです。アラブ系でなくてもそういう環境にいるからオリエンタルダンスやっていると普通にアラブ歌謡に興味を持って行くという流れです。全てのスクールがそうとは限らないのですが。
そんなわけで、そういったことが前提に無いというのは、軽いカルチャーショックだったのですが、オリエンタルダンスをやっていてアラブ歌謡を知らないというのはもったいないので、少しづつ紹介していくことにしました。
フランスのサイトから訳しました 出典元→ https://www.jesuismort.com/tombe/abdel-halim-hafez#biographie
2回にわけてご紹介します。ざっと訳したから日本語として読みにくいところとかもあると思います。。
Abdel Halim Hafez は50年代から70年代にかけて活躍して大人気だった歌手&俳優です。
その美声からAl andalib al asmar (褐色のロシニョール)と呼ばれました。アラブ歌謡の偉大な歌手の一人として知られています。レコード、カセット、CD全体の売上はOum kalthoumを凌駕するそうで、その人気ぶりがうかがい知れます。今でもラジオで流れ、現代の歌手達もたくさんカバーをしています。
子供のころから歌の才能を発揮し音楽教師を驚かせ、1940年11歳の時にカイロの音楽院で学び1946年にディプロムを取得して卒業しました。
音楽教師になりましたが、歌の道を歩むことを選び、1951年に教育省から解雇されています。
カイロのナイトクラブなどで歌い、一度アレキサンドリアでAbdel Halimが彼自身の歌を歌うことを好まない聴衆の一人からブーイングを受け、トマトを投げられたこともありましたが、有名歌手の代役で急遽出演したラジオをきっかけに名声を得、同世代で最も有名な歌手の一人となりました。
彼はOum Kathoum, Farid Al Atrache, Mohamed Abdel Wahab他アラブ歌謡において偉大な歌手・音楽家とは違った新しい芸術スタイルを生み出しました。
歌うときはリラックスをして微笑みを浮かべ、観客と一緒に楽しみ、オーケストラのシェフをさらりとこなし、舞台と聴衆をこよなく愛する彼のスタイルは、同世代のライバルとは一線を画し、圧倒的な人気を獲得しました。
歌に映画に精力的活動をして観客を魅了していましたが、その裏には計り知れない精神力がありました。何故なら、彼は病気(住血吸虫症)を患っていて絶え間ない痛みに苦しみながらの活動だったからです。それだけでなく、喘息と脚の骨折の後遺症にも苦しみながらの活躍でした。
当時彼の病気について女性ファンを惹きつけるための誇張だという批判をする人もいたそうですが、彼の早世によって、それが根も葉もない批判だったことが判明されました。
1974年にパリでコンサートのために来仏しています。最後の舞台は1976年でした。
亡くなった時は”Min ghir lih”の準備中でした。Mohamed Abdel Wahabはこの曲を他の歌手には歌わせたくなく、1990年にMohamed Abdel Wahab自身がAbdel Halim へのオマージュとして歌いました。
コラボーレションをした主なアーティストは、Mohamed el Mougy, Kamal Ettaouil, Abdelwahab, Baligh Hamdi, Mohamed Hamza, Nizar Qabbani(シリアの偉大な詩人)等でHalimの名声と活躍に貢献をしました。短めの陽気な曲で人気を不動のものにした後は、長い曲(即興の部分を除いても1曲30分~1時間の曲 : Mawood, Hawel teftekerni, Ay dameet hozn, Qariat el fingan, etc)に全ての情熱とエネルギーを注ぎ込みました。この時期は彼の芸術表現の絶頂期でもあり、アラブ歌謡にとっても金字塔と言える偉業を残しました。Oum Kalthoumや Abdel Halim Hafezなどの後、アラブ歌謡のこうした芸術的側面は徐々に失われていきます。 Abdel Halim Hafez ②につづく
qariat el fingan ↓