Mohamed Mohsen
2月にBataclan(バタクラン)で行われたMohamed Abdel Wahab へのオマージュ。FacebookでL’IMAのページに動画が出ていました。歌手はMohamed Mohsen 。前からいいなと思っていたらパリで歌ったんですね。バタクランは昨年秋にOum Kalthoumへのオマージュコンサートもしていたのだけど、私の滞在時期と少しずれていて行けませんでした。 フランスの公共放送TV5Mondeでインタヴューに答えている方はチュニジアナショナルオーケストラの音楽監督。このコンサートで L’ensemble FunDo (ロンソンブル ファンド)を指揮しています。 L’ensemble FunDoはパリの優れたアラブ音楽家達によるオーケストラみたいです。インタヴューでは、Mohamed Abdel Wahabがアラブ音楽とアラブ人にとってどれ程偉大かということや、アラブ音楽の革新を行ったアーティストでOum Kalthoumをはじめ、高名な歌手達に楽曲を提供したことなどを話しています。あと何故Mohamed MohsenはMohamed Abdel Wahab の継承者と言われるているのか?には、まず彼自身Mohamed Abdel Wahabの歌をたくさん歌っていて、その時代の歌(1930-40年代から黄金期の歌)をレパートリーとしていることなどを話しています。 Mohamed Mohsenについて(Batachlanのウェブサイトより) → エジプト人の歌手・作曲家で、Mohamed…
Ali El Haggar ②
その後兄弟のAhmed El Haggarとのコラボレーションも彼の重要なキャリアの一部となっています。 Baligh Hamdi,Omar Khariat, Hany Shahata, Bhaa Jaheen, Gamal Attia, Khalil Mostafa 等といった多数の作曲家、作詞家と一緒に仕事をしています。 そしてデュオでは、Mohamed El Helw « Beladi » 、 « Khan El Anadeel » 、Angham « Rosasa…
Ali El Haggar ①
もう大好きな歌手です。はじめてAli El Haggarの歌に触れたのは昔ジャミラのレッスンで聴こえてきた時。際立って抜きんでた美声と芸術性にすごく惹かれて、それからたくさん聞くようになりました。また音楽のバラエティが豊富、多彩、多才! 芸術一家で育った,Ali El Haggar。 有名な歌手兼作曲家の父 Ibrahim El Haggar からアラブ音楽の手ほどきを受けました。父親は、彼らの専門分野の音楽に留まらず、様々な形式や異なる種類の音楽を通して、音楽に対する深い理解を教え込みました。音楽教育に加えて、Ali El Haggarはコーランとその暗唱する作法を学びました。この学習は、声を発展させ、イントネーションを習得するのに大いに役立ちました。 1977年にBaligh Hamdiに才能を見出され、プロデビューをし、新年に多くのエジプト人聴衆を前にしてAl Ad Ma Habbena 披露します。世界中で活躍し敬愛され、栄光の頂点を極めたAli El Haggarの長く豊かなキャリアのはじまりです。 ②へつづきます 出典 https://www.sis.gov.eg/Story/87524/Ali-El-Haggar?lang=fr
Warda Al Jazairia -アルジェリアの薔薇-
1940年パリでアルジェリア人の父とレバノン人の母の間に生まれたWarda(ワルダ)は、11歳でカルチェラタンにある父親の経営するナイトクラブTam-Tamで歌いはじめます。アルジェリアの独立戦争がはじまり、父、兄、姉の後見のもと、Wardaはアラブ諸国でコンサートを行い、愛国歌を歌います。そうして収益をFLNに寄付しました。 FairouzやOum Kalthoumもそうですが、Wardaも植民地政策から脱却したアラブの連帯と団結のシンボルであり、人々にとって一歌手という枠を超えた存在だったのでしょう。 そうした活動により、フランスから出なければならなくなり、ラバトそしてベイルートに身を寄せます。アルジェリア独立後は祖国に帰り、結婚をして当時の夫の意向により歌手活動を行っていませんでした。1972年Houari Boumediene大統領から独立10周年記念で歌うように頼まれ、エジプトのオーケストラと一緒に歌いましたが、その活動により夫から離婚を要求されます。そうして歌手活動に専念をする決意をしました。 エジプトに渡り、作曲家Baligh Hamdiと出会い、結婚をしました。また、Mohammed Abdel Wahab、 Ryadh Soumbati,、Hilmi Bakr、Sayed Mekawi といった著名な作曲家達と仕事をして大成功をおさめます。映画にも出演しました。 1979年にはパリのオランピアでリサイタルを行っています。 300曲以上歌い、代表曲にはEl ouyoun essoud、khalik hena、Dendana、Fi Youm ou leila、Lola el malama、Batwannes bik、Harramt…
Fairuz
Fairuz 中東のパリと呼ばれたベイルート出身で、アラブ文化圏で最も支持された歌手の一人。 FairuzはRahbani兄弟と出会い、ラテンアメリカやジャズ音楽に影響を受けたレバノン音楽の新しいスタイルを作りました。 Rahbani兄弟のAssy Rahbaniとは結婚してましたが、その後離婚しています。息子のZiad Rahbaniも彼女に曲をたくさん提供しています。 Fairuzの曲はいろんなスタイルがあって、好みは分かれると思います。私は西洋風の曲より、やっぱりアラブ色の強い歌のほうが好きですが、様々なスタイルの曲を自然に歌い上げるところがすごいし、本当に魅力的な歌声で唯一無二のの歌姫。 フランスでもやっぱりアラブ系で音楽好きの方や年配の方はみんなFayrouz大好きでした。 2017年にカヴァーアルバムを出しています。イマジンやマイウェイをアラビア語で歌っています。80 才を超えている歌声とは思えない! 内戦があったレバノンで、Fairuzは一歌手という枠を超えて、もっと大きな人々の心の拠り所のような存在だったといいます。 余談ですが、Oum Kalthoumがパリでコンサートをしましたが、その際にFairuzも候補だったようです。当時ジャーナリストをされていた方の家族から聞きました。アラブの歌姫といえば、エジプトのOum Kalthoum、レバノンのFairuzと捉えられていたのでしょう。 パリでは2度、ロンドンでもコンサートをしていて、フランスの文化庁から勲章も授与されているようです。
レバノン出身のアラブの歌姫 Fairuz
Fairuz については次回。Bonne journée à tous ♡
Abdel Halim Hafez ②
前回の続き・・ 1977年に亡くなり、壮大な葬儀が行われたそうです。現代でも多くの歌手がカバーをしています。Abdel Halim Hafezへのオマージュ・コンサートなども開催されています。1つめは2018年にパリのFolies Bergères(フォリー ベルジェール) 劇場 で没後40年ということで開催されたコンサート。2つめは、2019年にLe Trianon ル・トリアノン劇場で行われたコンサート。どちらも大きな有名劇場です。 ル・トリアノンは私にとって思い出深く、オリエンタルダンスレッスンを受け持っていたダンススクールの発表会は2年に1度トリアノンで開催していました。劇場のカフェ ル・プティ・トリアノンも生地屋街に行くときはよく寄りました。この間行ったら無くなってた・・。この間行った時も衣装デザイナーと生地屋街に何度か足を運んだのですが、お気に入りのカフェを見つけた。次行った時無くなってませんように! このモンマルト付近は高級住宅街もあるのですが、すぐ隣にバルベスがあり、日本人があまり寄り付かないところで(危ないとか・・スリとか色々)。でも日本人の生徒さんから連れっててほしいと言われて一度引率(?)したことがあります。みんな楽しかったようです。でも行ったらスリに気をつけてくださいね。財布や携帯スラれたっていう話は多々ありますから!
Abdel Halim Hafez ①
アブデルハリムハーフェズについて2回にわけてご紹介します。 どうして、こうしてアラブ歌謡を紹介していこうかと思ったのは日本でレッスンするようになって、生徒さんがアラブ歌謡を知らないので(初心者だけでなく経験者も)、やっぱり日本だと触れる機会が無いのだろうなあと思いました。というのはフランスで教えていた時は大多数がアラブ系の生徒さんだからっていうのもありますが、普通にアラブ歌謡は昔のから現代のまで知っているし、例えば若くてもアブデルハリムの大ファンだから全曲歌えるとか言う娘もいたりするし、ものすごく身近でアラブ歌謡の説明とかダンスやダンサーの話(samia gamal、tahia cariokaから年代ごとのダンサーの踊りのスタイルとか)はすぐ伝わる感じだったのです。アラブ系でなくてもそういう環境にいるからオリエンタルダンスやっていると普通にアラブ歌謡に興味を持って行くという流れです。全てのスクールがそうとは限らないのですが。 そんなわけで、そういったことが前提に無いというのは、軽いカルチャーショックだったのですが、オリエンタルダンスをやっていてアラブ歌謡を知らないというのはもったいないので、少しづつ紹介していくことにしました。 フランスのサイトから訳しました 出典元→ https://www.jesuismort.com/tombe/abdel-halim-hafez#biographie 2回にわけてご紹介します。ざっと訳したから日本語として読みにくいところとかもあると思います。。 Abdel Halim Hafez は50年代から70年代にかけて活躍して大人気だった歌手&俳優です。 その美声からAl andalib al asmar (褐色のロシニョール)と呼ばれました。アラブ歌謡の偉大な歌手の一人として知られています。レコード、カセット、CD全体の売上はOum kalthoumを凌駕するそうで、その人気ぶりがうかがい知れます。今でもラジオで流れ、現代の歌手達もたくさんカバーをしています。 子供のころから歌の才能を発揮し音楽教師を驚かせ、1940年11歳の時にカイロの音楽院で学び1946年にディプロムを取得して卒業しました。 音楽教師になりましたが、歌の道を歩むことを選び、1951年に教育省から解雇されています。 カイロのナイトクラブなどで歌い、一度アレキサンドリアでAbdel Halimが彼自身の歌を歌うことを好まない聴衆の一人からブーイングを受け、トマトを投げられたこともありましたが、有名歌手の代役で急遽出演したラジオをきっかけに名声を得、同世代で最も有名な歌手の一人となりました。 彼はOum Kathoum, Farid…
Asmar Ya Asmarany – Abdel Halim Hafez
Abdel Halim Hafez は50年代~70年代にかけて活躍した偉大な歌手の一人。 レコード、カセット、CDなど全体での売上はOum Kalthoum以上らしいので、その絶大な人気がわかると思います。Abdel Halim Hafezについて詳しいことは次に書きます。 アラブ歌謡って20分以上の曲が多いから最初はちょっと敷居が高いと思います。そういう時は短い曲から聴いてみると良いですよ。